ゆるpさう7



【パンセ-671】

人にきみの美点を信じてもらいたいのか。

言わぬが花だ。





 誰でも、
自分の長所を他の人に
褒めてもらいたいと思うものです。


時には自分で
自分の長所をアピールすることで、
褒めてもらおうとするときも
あると思います。


 

 その一方で、
自分から自分の長所をアピールすることで
相手に不快感を与えることも
あるとおもいます。

 

自分から自慢する人は
ほかの人から嫌われるから、
黙っておくことが吉。


パスカルのこの言葉はこのような
ありふれたことを
言っているのでしょうか?


それは違います。


パスカルはここで、
人間の本性について述べているのです。
 



ところで、なぜ、
人はだれかに
褒めてもらいたいと思うのでしょうか?




 パスカルはその原因は
「自己愛」にあるといいます。


「自己愛」とは
「自分だけを愛し、自分だけを尊重する」
ような本性のことです。


これは多かれ少なかれ、
誰にでも備わっているものです。


この「自己愛」は
自分を完全な人間、幸せな人間だと
思い込ませようとします。


ところが、現実には、
どんな人でも何らかの欠点があります。


どうしたって、
完璧な人間にはなれないのです。


そこで、
「自己愛」はこの真実に
目を背けようとします。



自己愛はできることなら、
真実を根絶やしにしたいのだが、
真実自体を破壊することができないので、
を自分の認識と他人の認識のうちで可能な限り破壊する。

つまりあらゆる注意を払って、
おのれの欠点を他人にも自分にも覆い隠す。

そして他人からその欠点を指摘されることにも、
他人から見られることにも耐えられない。

『パンセ(下)』断章 *62



また、
「自己愛」は自分を完全な存在にすべく、
その確証を得ようと他人に褒められようとします。


しかし、
パスカルはこれを不正だというのです。


なぜなら、
他人に褒められることで、
ますます真実から離れてしまうからです。



欠点だらけというのは、
たしかに悪いことだ。

しかし欠陥だらけでありながら、
それを認めようとしないのは、
なおさら悪い。

それは最初の悪に、
意図的なごまかしという
悪を付け加えるのだから。

私たちは他人にだまされたくない。

そして他人が、
私たちからその真価以上に
評価してもらいたいと望むのは正しくないと考える。

私たちが他人をだまし、
自分の真価以上に他人から評価してもらいたいと望むのも正しくない。

『パンセ(下)』断章 *62



さらに、
に褒められたいと思い、
他人に必要以上の評価を求めることは、
「支配欲」につながりかねません。

現代の言葉でいえば、
マウンティングになりかねないのです。



要するに、
〈私〉には二つの性質がある。

それは自分をすべての中心に据える点で、
それ自体で不正であり、
他者を従属させようと望む点ではた迷惑である。

というのも、
各々の〈私〉は互いに敵であり、

あわよくば他のすべての〈私〉の暴君になろうと望んでいるのだから。

『パンセ(中)』断章 597



 要約すると、
自分から他人に必要以上の評価を求めることは、
本当の自分の姿からかけ離れたものになり、
さらには「支配欲」につながりかねないため、
パスカルは「言わぬが花」と言っているのです。


 

 このように、
パスカルは他人から褒められようとすることに
疑いを持つ一方で、
意外なことに「自己愛」がなければ、
他人との友情は深められないとも
(皮肉を込めて)言うのです。



 人々はだましあい、
お世辞を言いあうことしかしない。

誰も私たちの目の前で、
いないときのように、
私たちのことを話はしない。

人々の結びつきの基礎にあるのは、
この相互のだましあいだ。

 『パンセ(下)』断章 *62



 私たちにはどうしても
「自己愛」がつきまといます。


「自己愛」には、
良い面も悪い面もあるのです。


パスカルはそれも踏まえたうえで、
愛との付き合い方として
「言わぬが花」だとアドバイスしているのです。



 だから人間は、
自分自身のうちでも、他者に対してでも、
見せかけ、嘘、偽善にすぎない。

他人から真実を言われることは望まない。

他人に真実を言うことは回避する。

そして正義と理性から
これほど隔たったこれらの傾向のすべては、
人の心のうちに生まれながら根ざしている。

『パンセ(下)』断章 *62








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