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【パンセー77】
 

好奇心はたいてい虚栄にすぎない。

知りたがるのは、それについて話すためだ。

さもなければ
遠洋航海に乗り出したりは
しないだろう。

それについて何も語らず、
ただ見る楽しみだけで、
見たことをいつか人に伝えるという
希望もなしに。




 「休日にSNSを見ると、
どこかに旅行や観光に行ったことを
投稿するキラキラした写真で
タイムラインが溢れかえっていた




 私たちはしばしば
好奇心であれこれと行動を起こします。


しかし、
単純に興味・関心だけで行動することはなく、
たいていの場合は
他人にキラキラした自分を見せたいという
「承認欲求」が根底にあると
パスカルは指摘しているのです。




 確かに、
このパスカルの指摘は、
納得できるものがあり、
人によっては当然のことだと
思うかもしれません。


特に、
SNSの普及が
著しい現代に生きる私たちにとっては、
かなり耳が痛いようなものに思えます。

 

 さて、今回は、
好奇心=虚栄の例として
挙げている旅行・観光について
解説というよりも、
考察をしていきたいと思います。




 今回のこのパスカルの言葉は、
次のような私たちへの問題提起にも見えます。




 私たちがする旅行や観光は、
まさにパスカルが指摘するように、
「自分のライフスタイルを見せたい!」という
承認欲求のみが
動機になってしまっている部分があるのでは?




 インターネットで
ありとあらゆる情報を
手に入れることができるようになった今、
「見たことがないものを見たい!」
という好奇心は、もはや、
「ネットやパンフレットで
得た情報と現実の景色が同じかどうか」

確認しにいくだけの作業に
なってしまっているのでは?




 余談ですが、
このような議論は実際に、
学問の分野でも行われています。


たとえば、
観光学という学問では、
「擬似イベント」という概念で
議論されています。


この概念は、
メディアが作り上げたイメージが
現実の出来事かのように
作用してしまう状況を指します。


これまで、
旅行や観光などでは、
人々がメディアの作り上げたイメージを
あたかも確認するためだけに
旅行をすること
が指摘されています。




 ところで、
私たちは普通、思わぬことが起きて、
それが面白かったから、
つい、人に話してしまうのではないでしょうか?

 

 旅行や観光という点で、
つい他の人に話したくなるのは、
旅行先で、偶然、遭遇した
予想外の出来事だと思います。


旅先でのハプニング、
出会い、思わぬ美しい風景



私たちの旅行を楽しくさせるのは、
これらの思わずにであったものなのです。




 しかし、これらは、
好奇心ではなかなか捕まえられないのです。


なぜなら、好奇心は、
ある対象に対して持つものであり、
想像力で対象を
過大に見積もってしまうものだからです。


また、
その対象の存在を知らないと、
好奇心を持つことができず、
しかもなかなか好奇心を裏切るほど
素晴らしい体験には出会えないのです。

 

 そのため、もし、
人に話す出来事が好奇心の想定内であれば、
それは、
「自分はこういう経験をしたんだ!」
という自慢話にしかならない場合が多いのです。




 もし、
虚栄ではない好奇心というものがあれば、
おそらく、それは
偶然から生まれるものなのかもしれません。




 旅先で、
何の目的もなくぶらついてみる。


テキトーなお店に入ってみる。


何となく、
目的地でない駅で降りてみる。




 このような偶然の選択が、
もしかしたら、
あなたの一生を変えるものになるかもしれません。





ニーチェテスト用

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書き下ろしです




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